小豆じまん

2020年3月10日

南北朝時代に作られた!星ヶ城跡の歴史を紹介

皆さんは小豆島の星ヶ城跡をご存知でしょうか。 星ヶ城跡とは南北朝時代に作られた山城の跡です。 現在では小豆島の人気の観光地として知られています。今回はそんな星ヶ城跡を徹底的に解説していきたいと思います。

小豆島に旅行に行く予定がある方や小豆島の歴史について興味のある方は是非最後までご覧ください。

星ヶ城山の基本情報

星ヶ城山は瀬戸内海で最も高い山で、瀬戸大橋と大鳴門橋と明石海峡大橋を見渡すことができます。星ヶ城山には南北朝時代に作られた星ヶ城の跡があり、中には空壕、鍛冶場、水ノ手曲輪、烽火台の跡があります。

さらに、星ヶ城山には星ヶ城跡だけでなく阿豆枳神社を祀った小社もあります。
星ヶ城跡の歴史
星ヶ城は南北朝時代に佐々木信胤によって作られました。佐々木信胤は備前国児島飽浦の住人で細川定禅に従ってしましたが、後に対立して南北からの誘いに応じて小豆島へ挙兵することになりました。

その後、1347年に細川師氏が小豆島に攻め入り佐々木信胤は1ヶ月間戦いましたが、降伏しました。 さらに、佐々木信胤は細川頼之との戦い敗れていますが、それ以降の消息は知られていません。佐々木信胤は足利尊氏の重臣である高師秋とお才の局で対立したことがあり、この二人の恋物語は山中農村歌舞伎の「小豆島」でも登場し、現在でも語り継がれています。

東峰と西峰の解説

東峰

東峰は城を守るための詰の城の役割を果たしました。東峰は小豆島の最高脈で瀬戸内海の風景を展望することができます。

人口井戸

人工井戸は深さ5.5メートルで2.5メートル平方の広さがあるものでした。この井戸では雨水を貯水し、緊急の場合に備えられていたと考えられています。

舟形遺構

石が散乱した船が他の区域の中で長さ6m・幅3mに板城の石が敷かれていたため、石塁を築くために石を採取する場所だったと言われています。

狼煙台

烽火台(のろしだい)は他の場所にいる人と連絡を取り合うために使われていたと言われています。

西峰

西峰は内海湾や四国側の穏やかな景色を展望することができます。

鍛冶場跡

城を築くために必要な金具屋武器を作るために使われていた場所。発見された当時は多数の鉄が散乱していたと言われています。

外の空濠

攻寄る軍勢を食い止めるために作られた溝で、深さは3.5mだと言われています。

居館跡

居館跡は平坦地なため、排水がスムーズに行われるように少し下り斜めになっているのが特徴です。

星ヶ城神社

星ヶ城神社では冒頭でも説明した佐々木信胤が祀られています。

星ヶ城跡のおすすめルート

星が城跡への登り方は2種類あります。1つ目はロープウェイを使う方法で、2つ目は歩いて行く方法です。まず1つ目のロープウェイを使う方法は、まず寒霞渓のロープウエイ山頂駅から三笠山駅へと行き、そこから徒歩で登ります。

次に徒歩の場合は小豆島ブルーラインから伸びている遊歩道を使うことで行くことができます。遊歩道でなく自然探索路を使う場合は、1周(1.5㎞) を1時間半程度で歩くことができます。星ヶ山山頂からは山の大自然を見渡すことができるので、ぜひ山頂まで登りましょう。

【基本情報】
住所:香川県小豆郡小豆島町大字安田字嶮岨山乙586-4
営業時間:9:00〜17:00・8:30〜17:00(11月) 定休日/なし

ぜひ星ヶ城跡を散歩してみましょう
星ヶ城跡は小豆島でも歴史的な場所です。さらに、規模が大きいため長時間その場で楽しむことができます。星ヶ城跡は城跡だけでなく自然も豊かなので、「星ヶ城跡を見てみたい」という人以外に、「小豆島の大自然を感じたい」という人にもおすすめです。ぜひ小豆島に旅行に行く際は、この星ヶ城跡を散歩してみましょう。

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