小豆じまん

2020年3月7日

平井兵左衛門。小豆島を命をかけて守った男!

 

皆さんは「平井兵左衛門(ひらいひょうざえもん)」という人物をご存知でしょうか。
平井兵左衛門(ひらいひょうざえもん)とは18世紀頃に小豆島で活躍した人物です。この人物は現在でも小豆島で称えられていて、現在でも追善供養が行われています。今回はそんな平井兵左衛門が実際に何を行ったかということと、平井兵左衛門のお墓を紹介していきます。

平井兵左衛門のお墓は実際に見ることができるので、小豆島へ旅行に行く予定のある方はぜひ行ってみましょう。

平井兵左衛門とは

平井兵左衛門は現在でも存在する池田村で「大庄屋」を務めていました。
大庄屋とは、江戸時代、地方行政を担当した村役人の一つで、 代官または郡奉行の下で数村から数十村の庄屋を支配して、法規の伝達、年貢割り当て、訴訟の調停などを行う人のことです。

18世紀の初期、幕府による重い年貢によって小豆島島民は苦しめられていました。
そこで、この問題を何とかしようとしたのが大庄屋の平井兵左衛門でした。

平井兵左衛門は1711年に幕府へ直接年貢を減らすように願い出ました。
しかし、当時小豆島を治めていた高松藩から許しを得ずに幕府に直接お願いすることは、「越訴(おっそ)」という罪にあたってしまいました。
そのため、平井兵左衛門は罪人として捕らえられ、1712年に江戸から高松藩に送り返されました。

最終的に、1712年の3月11日に36歳という若さで江尻の浜にて斬首されてしまいました。

平井兵左衛門のために行われる行事

平井兵左衛門が行った尊い行いは、現在でも小豆島で讃えられていて、定期的に追善供養が行われています。
この追善供養は平井兵左衛門顕彰会と小豆島町商工会青年部が毎年、平井兵左衛門の命日である3月初旬に行っています。

この行事では、追善供養が行われる場所の近くにある長勝寺の住職らがお経を読み、同町池田特産の菊を献花しました。
さらにその後、亀山八幡宮の国指定重要有形民俗文化財になっている池田の桟敷で平井兵左衛門を偲んで作られた「兵左衛門太鼓」の演奏が地元の子供達8人によって奉納されました。

平井兵左衛門が亡くなって100年が経った年には百年祭として近くの亀山八幡宮(かめおかはちまんぐう)に祠が建てられました。そして、明治時代には二百年祭が行われ、平成23年には三百年祭として三百回忌法要が長勝寺で行われました。

さらに、現在でも平井兵左衛門の行なった偉業を農村歌舞伎として演じるなどの活動も行われていて、島民の人達は後世に伝え続けようとしています。

このように平井兵左衛門は現在でも尊敬されています。

平井兵左衛門のお墓の紹介

ここまでは平井兵左衛門が実際にどのようなことを行ってきたかということについて説明してきました。
ここからは、実際に見に行くことができる「平井兵左衛門氏政終焉の地」を紹介していきます。

平井兵左衛門氏政終焉の地は小豆島町の小豆島町立池田小学校の近くにあります。
現在でも定期的に管理されてして、お墓自体も綺麗な状態が維持されています。

平井兵左衛門が亡くなった3月初旬に行けば、追善供養を見ることができる可能性もあります。
訪問する観光客は比較的少ないですが小豆島で尊敬されている重要な人物だったので、行ってみる価値はあります。

 

【基本情報】
住所:〒761-4301  香川県小豆郡小豆島町池田 池田港から徒歩で10分

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