2020年2月13日
300年以上の歴史!中山農村歌舞伎の歴史
皆さんは小豆島で行われている中山農村歌舞伎はご存知でしょうか。中山農村歌舞伎は長い歴史を持つ小豆島の伝統的な歌舞伎です。今回はそんな中山農村歌舞伎の歴史と中山農村歌舞伎にまつわる観光地を紹介していきます。
歌舞伎に興味のある方や小豆島に旅行へ行く予定のある方はぜひ最後までご覧ください。
中山農村歌舞伎の歴史
中山農村歌舞伎は江戸時代中期から始まり約300年以上の歴史を持っていて、現在まで上演され続けている数少ない貴重な伝統芸能です。
中山農村歌舞伎が行われるようになったきっかけですが、昔お伊勢参りに出かけた小豆島の島民が上方歌舞伎のシーンが描かれた絵馬や衣類を持ち帰り、振袖師や旅回りの一座を招いて島民たちで歌舞伎を演じるようになったのがきっかけだと言われています。
最も中山農村歌舞伎が栄えていたのは、明治・大正の時期で当時島全体で30以上の歌舞伎舞台と60人以上の役者がいたと言われています。しかし、現在では中山農村歌舞伎と肥土山農村歌舞伎の2つだけが継承されています。
中山農村歌舞伎の特徴
中山農村歌舞伎の特徴は舞台に茅葺き屋根が使われていることです。この茅葺き屋根は江戸時代に作られたもので、現在では国の重要有形民俗文化財に指定されています。
桟敷席の端っこにある衣装倉には、約720点以上の衣装や大道具が納められています。さらに、中山農村歌舞伎で使われる、台本の種類は350冊以上あると言われていて、最も古いものは 寛政元年(1789年)に作られたものです。
ちなみに、中山農村歌舞伎にはもう1つ有名なものがありそれが「わりご弁当」です。割盒(わりごう)とは木で作られたお弁当箱のことを表し、大きな木で作られた箱の中に小さなお弁当箱がいくつも入っています。そのため、大量のお弁当箱を同時に運ぶことができるお弁当です。
このお弁当は中山農村歌舞伎が行われる小豆島の中山地区で頻繁に使われています。わりご弁当の使い方は人それぞれで、自分の親戚や友達が大勢集まる時に使われる場合や、歌舞伎を演じてくれる役者や裏方の人の分まで作り、差し入れする場合もあります。
中山農村歌舞伎と肥土山農村歌舞伎の違い
上記で少し説明しましたが、小豆島には中山農村歌舞伎と肥土山農村歌舞伎の2種類の歌舞伎があります。この2つは一見同じなように見えますが、歌舞伎ができたきっかけが異なります。
肥土山農村歌舞伎は、江戸時代前期に農業用のための池が完成したことを祝って行われるようになりました。それ以降、明治時代になっても継承され現在まで受け継がれています。さらに、歌舞伎が行われる場所も異なっていて、中山農村歌舞伎は春日神社で行われますが、肥土山農村歌舞伎は離宮八幡神社で行われます。
歴史が少し異なっている一方で、中山農村歌舞伎と同じく伝統的にわりご弁当が使われています。
中山農村歌舞伎が行われる時期とアクセス
中山農村歌舞伎は基本的に毎年10月の第2日曜日に一度だけ上演されます。小豆島に住んでいるわけではなく旅行で小豆島に行く予定の人にとっては、少し見に行くことが厳しいかもしれません。しかし、中山農村歌舞伎では上演が終わった後日、縄を張って衣装の虫干しを行う「どうやぶつ」が行われます。
その時には、色鮮やかな歌舞伎の衣装がずらりと並ぶので、江戸時代から代々使われている舞台や衣装を見ることができます。
【基本情報】
住所:〒761-4303 香川県小豆郡小豆島町中山1487番地 春日神社
期間:毎年10月第2日曜日 17:00頃開演、21:00頃終演予定
アクセス:神戸淡路鳴門自動車道(瀬戸中央自動車道)高松道・高松中央ICを経て 高松港へ(鳴門ICより約65km)
歴史、観光名所巡り好きでいつもカメラを持ってる歴史オタク男子。小豆島の歴史や観光スポットに関する記事を書いています。